「次のポーズがもらえない…」ポーズへの執着から自分を解放する3つの方法
「今日もまた、新しいアサナ(ポーズ)をもらえなかった…」
マイソールクラスの帰り道、
そんなふうにひそかに落ち込んだことはありませんか?
アシュタンガヨガは、先生から「次のアサナ(ポーズ)」を
与えられて少しずつ進んでいく独特のシステムです。
だからこそ、
「隣で練習しているあの人はどんどん進んでいるのに、私だけずっと同じところで止まっている」
「いつになったら次のアサナに進めるんだろう」
と、つい他人と自分を比べて心がざわざわしてしまう。
ヨガは心穏やかに自分と向き合う時間のはずなのに、
いつの間にか「新しいアサナをもらうために頑張る場所」
「先生からの承認を得るための場所」になってしまっている。
真面目に練習にコミットしている人ほど、
この「エゴ(執着)」の罠に陥りがちです。
かくいう私も、怪我をしてフルプライマリーから
進めていなかった時、
後から入ってきた他の練習生がどんどん新しいアサナを
もらうのを見て、焦っていたことがありました。
しかし、ある構造に気づいてから、
その執着を手放すことができ、
劇的に練習が心地よくなりました。
この記事では、他の人と比べて苦しくなっている
あなたへ向けて、
「エゴ」から自分を解放し、
純粋に練習を楽しむための3つの方法をお伝えします。
なぜ私たちは「次のアサナ」を求めてしまうのか?
アシュタンガヨガの「アサナを与えられるシステム」。
先生が生徒の成熟度を見て、次に進むか判断する。
一見合理的に見えるのですが、
非常にゲーム的な要素をはらんでいます。
RPGゲームで例えるならば、こんなルールです。
- 1日のうち、倒せる大ボスは1体まで。
- ただし、これまでに倒してきた敵を、毎回同じ順番で倒す必要がある。
- さらに「先生の承認」がないと次のボスに進めない。
大ボスを倒すためには、
先生から「これまでの敵を完全に征服できたか」を見られます。
この状態に置かれると、プレイヤー(生徒)は
毎日ゲーム(練習)をして、
先生に「オレは過去の敵を克服してます!」と
必死にアピールするようになります。
そしていつの間にか、ヨガそのものではなく、
「次のボスを倒す許可をもらうための承認の場」になっていく…。
これが、アシュタンガヨガ特有のシステムが私たちの心に
「執着」を生み出す構造なのだと思います。
ヨガで目指すのは「サーカス団員」ではない
過去のブログでも書きましたが、私はこう思っています。
「もし難しいアサナ(アクロバティックな形)が
できるようになることが目的なら、
ヨガではなくサーカス団や新体操に入った方がいい」
ヨガの本来の目的は「アーサナの攻略」でしょうか。
「肉体に感謝しつつ、自分の心と体をコントロールする探求」
だと私は思います。
暴走するエゴを手放す「3つの方法」
では、このゲーム化された
執着から抜け出すにはどうすればいいのか?
私が実践している方法を3つ提示します。
- 方法①:アサナを「目的」ではなく、自分を映す「鏡」と捉える
今の自分の体の可動域や、心の癖(恐怖心や焦り)を教えてくれる、
優れた「コンディション確認ツール」であると捉えます。 - 方法②:自分の中の「自分を責める声」を黙らせる
「なぜできないんだ」と自分を責める脳内の厳しい声に気づいたら、
それに飲み込まれないこと。
「これが本日の状態(コンディション)ですが何か?」と
客観的に冷たく返す。 - 方法③:一つのアサナに「留まる」ことの本当の価値を知る
新しいアーサナをもらうことよりも、
今ある一つのポーズを深く味わい、呼吸の質を高めること。
その行為自体が、すでに尊く完璧な練習であると認識する。
コンディション確認ツールとしてアシュタンガヨガを捉えて、
練習し始めてから、より自分を客観視できるようになった気がします。
「今股関節が痛いからあのポーズは避けよう」
「肩が痛いからチャトランガは辞めよう」
そう思えるようになりました。
そして何よりも「トリスターナ」。
呼吸・視点に重きを置き、ちょっとアサナを意識する。
そちらの方が「動く瞑想」としての
アシュタンガヨガの良さを享受できると感じています。
以前はこう思っていました。
「何が何でもやってやる」
「アサナを飛ばすのは悪」
「できない自分はダメ」
アサナにこだわりすぎて、
呼吸や視点は二の次状態でした。
アサナのことを一歩引いて見られるように
なった今の練習はとても心地良いです。
比べるのは「昨日の自分」だけでいい
隣の人の進み具合や、
歴の長さが気になってしまう気持ちは分かります。
でも、そんなものは全く気にする必要がありません。
というか、「どうでもいい情報」です。
進み具合、継続年数よりも
「どれだけ自分の心と対話したか」が
一番の財産になるのではないでしょうか。
皆さんが「アサナへの執着」から
離れたと思った瞬間はありますか?
もしあれば、ぜひコメント欄で教えてください。

