痛みはギフト!?そんな訳あらへんやろ!

結論言います。


痛みはギフトです。
っておーい!!タイトルと違うやんけ!

と思ったあなた!
戻るボタン、閉じるボタンを押すのは
ちょっと待ってください。

「痛みはギフト」というには様々な意味がます。
痛いのがいいんだ!苦しんで痛いのがいいんだ!
という苦行者の意味ではない、ということは最初に断っておきます。
誰だって痛いのは嫌やで。

そもそも「痛みはギフト」ってなにか?

身体のSOSであると同時に、
心の成長をもたらすきっかけとして捉えられることが
多いそうです( by Google検索調べ)

私が実践しているアシュタンガヨガ界隈でも
よく「痛みはギフト」と聞きます。

痛みがあるから心が成長できる、
痛みは「浄化への通過儀礼」だと語られ、
正当化されることが多いなぁ、と個人的には思いました。
また「痛くない範囲で、呼吸を深めることに集中して練習を続ける」
ことも推奨されます。

けれど、痛い思いするとわかりきったヨガなんて、やりたくないで。
誰だって痛いのは嫌やで。

痛みにはグラデーションがある

アシュタンガヨガを実践する中で私は
「痛みにはグラデーションがある」と気がつきました。
軽度なものから順番に、以下の3段階があると思います。

  1. 日常無意識に避けている、身体の微細な痛み
  2. 特定の動きをした時に出る、気になる痛み
  3. 日常生活に支障が出るような、かなりの痛み

アシュタンガヨガの練習生が
だいたい悩まされるのは「②~③」です。
チャトランガの時手首が痛い、肩が上がらなくなった、股関節が痛い。。。
(あ、全部私のことです)

全部②~③の痛みなんです。
そして、だいたい③まで到達したときに、
人は初めて「怪我をした」と認識します。

ギフトと呼べるのは「②」の段階まで

しかし私はこう思います。
②の段階に入ったときに、①を見直せる。
あるいは、①の段階で気づける。

この状態であれば、「痛みはギフトである」と
言えるのではないでしょうか。
(もちろん、③に至る前の段階で気づくのが理想です)

身体を痛めて思うことは。
身体の癖が相当身体の使い方に影響してるということ。(当たり前やん)
しかも、その癖は
「無意識のうちに避けている微細な痛み」に
よって作られていると感じます。

例えば私のケース。
私は「内股状態で体重をかけること」に無意識下の抵抗があります。
分析するとそれは「ふくらはぎの微細な痛み」から来てるんですね。
また右肩甲骨の下方内旋も微細な痛みがあります。

そして私は股関節と、肩を痛めてた(ている)経験があります。
よって、②に至る段階で、①がかなり影響しているのでは?
と考えています。

なぜ私たちは「③怪我」になるまで気づけないのか?

そして誤解して欲しくないのは。
③怪我に至ることで得られる学びも確かにありますが、
痛い思いは避けるに越したことはありません。
これまでの①や②の「身体からの小さな声」を
聞き取れなかった結果が、③なのだと思います。

ただ残念なことに、③になるまで痛みに気づかない…
というか、「気づくだけの感覚受容器が育っていない方」が
ほとんどではないかと推察します。
でも、それは仕方ないことだとも思います。

現代社会は情報に溢れ、自分の内側よりも
「外側」に意識が向きがちです。

自分の身体感覚を研ぎ澄ました経験がなく、
感覚受容器が育っていないのであれば、
①や②をすっ飛ばして一気に③怪我に
なってしまうのはやむを得ません。

でもな~。何度も言うけど、誰だって痛いのは嫌やで。

身体を車に例えると。

車に例えるとわかりやすいです。
我々は教習所に行って車の使い方を教わってから運転しますよね。

でも、自分の身体についてはどうでしょう?
教習所に行かずに、ただ感覚だけで車を運転しているようなものです。
その状態で「砂浜でコーナリングしろ」「ドリフト走行しろ」
(=複雑な動作をしてみろ)
と求められたら、どうなりますか?

車をフルパワーで使うために色々調べると思います。
こと自分の身体のことになると、
なーんにも調べずに使っているんですよね…。

痛いのが嫌な割に、使い方も調べへんのかい!

痛いのが嫌なら、身体の「使い方」を学ぼう


ヨガをいきなり現代人がやるにはハードルが高いのでしょうか。
そうかもしれません。
ヨガ自体、相当な柔軟性と関節可動域を求める難しい動作なので、
ヨガの練習「だけ」で感覚受容器を育てるには時間がかかります。
育つまでに③怪我に至ってしまうかとしれません。

そもそも運動を怪我なく続けることって難しいんです。
好きなればなるほど、自分の身体の声よりも
「どうしたら上手くなるか」を優先して考えてしまうから。

だからこそ言いたい。
身体の使い方を学びませんか?

身体の使い方を学べば、
①や②の微細な痛みを感じ取る感覚受容器は育ってきます。
そのためには、メインで楽しんでいる運動とは別のところで、
①や②の感覚を育てるトレーニングを並行して行うこと
が重要だと考えています。

その手段はピラティス(FRP)でもいいし、
武道でもいいし、他のボディワークでも構いません。

痛みを「怪我」にする前に、
まずは自分の身体の感覚を育てるメソッドを
取り入れてみませんか?

【皆さんに質問です】

「痛みはギフト」と言われて、混乱した経験はありませんか?
もしあったら、コメントで教えていただけると幸いです。

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