あなたにとって「先生」とはどんな人物像ですか?
先生に対する理想、高くないですか?
私はアシュタンガヨガにおける「先生」「生徒」の関係性に
非常に疑問を持っていて、
何度もこのブログでその旨の発信をしています。
根本において何がおかしいのかと考えたときに感じたのが、
先生・生徒が求める、先生の理想が高い、ということ。
いやお前先生やってるからそんなこと言うんだろ!
生徒側はそんなに理想は高くないぞ!と思ったそこのあなた!
いやいや、先生サイドもびっくりするぐらい高いと感じますし、
何なら私も生徒なので、先生に求めすぎてるなと感じます。
先生・生徒サイドから分析したいと思います。
①先生サイド
先生は生徒からの要求に答えられねばならない、というプレッシャーを
無意識に持たれている先生が多いと感じています。
もし答えられない質問が生徒から出たら。
論点をずらしたり、怒ったりする方もいらっしゃると思います。
(全員がそうではありませんが)
素直に「わからない」と答えられる方は少ない印象です。
②生徒サイド
こっちの方が闇が深いと思っています。
先生はなんでも知っていて、私の質問に答えてくれる全知全能だと思って接する方が多いと感じます。
なので先生を信仰する方もいれば、別世界の人のように感じる方もいます。
もし先生がわからないと言ったその日には…
失望して先生の下から去ってしまうこともあります。
これが先生のプレッシャーもかえって厚くしてしまい、
先生と生徒の間には分厚い見えない壁が築かれていきます。
先生に対する理想が高くなる原因
「先生」と言えば小学校~高校の先生を思い浮かべる人が多いからだと思っています。
学校の「先生」って、子供からすればなんでも知っていて、言うことを聞かねばならない存在だと思いませんか?
なので、クラスメイトよりも遠い存在、生きている次元すら違うような感じもしませんか?
この時のイメージが「先生」に付き纏っていると感じます。
その時のイメージを元に、生徒も「先生」はこうであれ、と思うし、先生も「先生」であらねばならないと思う。
ただ、この「先生」。
自分たちが幼く、人生経験も圧倒的に少なく、知識もなかったら、「導く存在」だったわけですよね。
今あなたはどうですか?
成熟した大人で、人生経験も豊富にあり、知識もある。
「先生」との距離はほぼ近しい、もしかするとあなたの方が総合的には一歩も二歩も進んでいるかもしれない。
なのに、「先生」に対するイメージは昔のままアップデートされていない状況。
すると「先生」に求めることは昔よりも大きくなってきていませんか?
先生も生徒だった時代があります。
その時求める「先生」を無意識に高くしてしまい、そうあろうとするあまり
いつの間にか生徒と距離を置いていることもあります。
ただ、大人になった皆様にはすでにお分かりの事が1つあります。
それは「先生も生徒も立場以前に人間であるということ」。
先生はイエスキリストではありません。
と同時に、生徒は導くべき彷徨える子羊ではありません。
先生・生徒もそれぞれ「先生」として扱うのではなく、
1人の人間としてお互いに会話してはどうでしょうか?

