健康を目的に始めたが、アシュタンガでそれが叶っているか?
結論
健康を目的に始めたアシュタンガヨガ。
気付けば怪我をしていたり、不調でメンタルがやられることも。
健康、には果たして直結しているのだろうか?
定期的にそれを振り返る必要がある。
背景
最近山本邦子先生のnoteを拝見しています。
https://note.com/kunikoayoga/n/n61485c58bbef
そんな中で「そーだよな〜」と思う一文がありました。
いつしか、手段(ここではヨガ)が目的(ヨガがうまくなるようになる)になって、本来の目的が見えなくなると、その手段が目的化したものを達成するために、体を痛めたり、心が不安定になったり、自己嫌悪に陥って自己肯定感が下がったりすることにはなんの意味もないと思っている。
私もアシュタンガヨガを続けている身ですが、
この状態になってないか?
とグサグサ刺さりました。
怪我をしてメンタルをやられて、
それでも「アシュタンガヨガを続けなきゃ」という思いでやってきました。
振り返ると、目的(健康)と手段(アシュタンガヨガ)だったのが、いつのまにか手段が目的になっているなぁと。
ただ、そこで「じゃあアシュタンガヨガをやめる」にはならないのが、わたくしです。(笑)
やはりあの空間が好きなんですよね。
先生と生徒との信頼関係や、炙り出される自分の弱点と向き合ったり、もらったポーズに向き合う瞬間など…
あと他に代替の運動不足解消メソッドを見つけるのが面倒というのもあります(笑)
毎日肩周りのを使う運動しないと、肩こりがヤバいんですよ…
肩こりがヤバい私の体には他のヨガでは太刀打ちできないくらい。。。
IT職、舐めんな!です(笑)
つまり、私の中ではアシュタンガヨガは
「肩こり解消」「運動不足解消」という目的は達してくれている訳です。
とすると、目的と手段が逆になっているのではなく、
目的が満たされているから、別の目的を新たに立て、新目的に目を向けている状態
であると言う事が言えます。
よって、私の場合だと山本先生の記事に共感しまくった割には、
きちんと目的に目が向いているということでした。
なんやねん!(笑)
とは言いつつ、健康を維持するために「伝統のやり方を貫く」必要はないのかなとも思っています。
例えば、特定のアーサナだけ取り出して練習したりキープ時間ももっと取っても良い訳です。
そして怪我を誘発するキューイングをなくしたり、体の状態を細かく観察しながら指導することで、
怪我が少ないアシュタンガヨガを提供できるのかなと思います。

