アシュタンガヨガの練習を続けるのが辛い方へ - 「グルジ」を読んで -

こんな方向けの記事

  • アシュタンガヨガを毎日練習しようとしてみたけど、続かず悩んでいる人
  • 毎日練習できないことに罪悪感があるから、アシュタンガヨガを辞めたいと考えている方
  • 怪我をしてアシュタンガヨガを続ける意味を見いだせなくなった人

結論

「自分にとって練習とは何か」、そして「何を目指すのか」。
練習するのが辛くなったら、それを改めて再定義してみませんか?
そして、一時的には「自分を許す(=アシュタンガヨガのシステムに縛られすぎない)」ことをしてみませんか?

背景

アシュタンガヨガにコミットし、
週5-6回のプラクティスを積み始めると出てくる、
「やらねばならない病」。
その病にかかっている方は結構います。
この病は何がやっかいかというと、自分を責めだして、精神的に追い詰めはじめてしまうところです。

そして鶏が先か卵が先かわかりませんが、真面目にアシュタンガヨガを実践すると怪我(痛み)がでてきます。

この「やらねばならない病」と「怪我」で精神的に参ってしまっている方も多いのではないでしょうか。

そんな方には本「グルジ」の「デヴィッド・スウェンソン」の章を読むことを私は非常にお勧めしたいです。

一節を引用します。

定期的な練習から得られるのメリットは強さでしょう。しかし、健康上の理由や失意など、何かしらの理由で練習から離れたとしてもいいのです。後ろめたく思う必要はありません。また戻ってきて始めればいいのです。二十分の練習を週二回しかできなくても、それも素晴らしいことです。続けてください。これからもずっと九十分の練習を週六日できるなんて人はごくわずかです。しかし「十五~二十分なら取れます。月、水、金は練習できます」という人は多いでしょうか。素晴らしいです。そうしてください。

グルジ 弟子たちが語るアシュタンガ・ヨガの師、パッタビ・ジョイス

アシュタンガヨガしか練習してはいけないのではなく、自分について知るという同じゴールを目指していれば、違うシステムのヨガを練習してもよいのです。

グルジ 弟子たちが語るアシュタンガ・ヨガの師、パッタビ・ジョイス

グルジも毎日最低限の練習は、スーリヤナマスカーラA、スーリヤナマスカーラB、それとフィニッシングの最後の3つのポーズだと言っていました。つまり、これだけでも恩恵が受けられるということです。

グルジ 弟子たちが語るアシュタンガ・ヨガの師、パッタビ・ジョイス

私はアシュタンガヨガが大好きなので、やる気がなくなってきたなーと思っても、「マットの上に立って自分を見つめる時間」は皆さんに取って欲しいなと思います。

一時的にやる気をなくしても、また戻ってくればいいと思います。
やる気が出てきたら、まずは太陽礼拝1回から始めてみませんか?

そして逆に「毎日やらないとダメ。やらない自分はダメだ」というように自分を追い詰めすぎるのは違うと思います。
さらに、自分が練習できていることを誇りに思い、できていない他の人を見下すのは違います。
その人なりの練習スタイル、(アシュタンガ)ヨガに求めるものは違うと思います。
自分のスタイル・信念を淡々とこなすのが重要ではないでしょうか?

すこし脇道にそれました。
彼も述べていますが、「自分にとって練習とは何か」、そして「何を目指すのか」。
練習するのが辛くなったら、それを改めて再定義してみませんか?
そして、一時的には「自分を許す(=アシュタンガヨガのシステムに縛られすぎない)」ことをしてみませんか?